城後寿

アビスパで最初に知った選手でしょう。正直言ってまだ駆け出しで選手の名前も満足に分からなかった頃はあの10番を追っかけていました。彼がKINGと呼ばれ始めたのは2011年。降格した後も彼はアビスパ福岡というクラブに居続けました。翌年からはKINGという冠詩がついた横断幕もできました。その事実は何よりも頼もしかったし、アビスパという存在を語る上で間違いなく城後といの一番に言葉が出るでしょう。




果たして彼は本当に「KING」なのか



この一言をもしサポーターの前で言ったら最後、玄界灘に沈められかねないのですけど、ただこの記事はDISでは全くない。彼が功労者であるのは疑いない話。

2005年。彼はアビスパにやってきてから様々なポジションに据えられました。

ある時はボランチ

ある時は右サイドハーフ

そしてある時はフォワード

その都度監督も変わる。翌年松田浩が監督を解任し、川勝良一、リトバルスキー、そして篠田善之、浅野哲也、

悪夢 前田浩二

そしてマリアン・プシュニク、・・・井原正巳に至るまでなのだが、そこで結局役割も変わる。プシュニク政権時はサイドバックもしてますよ。・・・ゴールキーパーまで。



佐藤寿人は前でしか使われてないし、豊田陽平に関してはセンターフォワードでしか使われていません。

彼はそんなに起用に見えたのでしょうか。

理詰めというよりも身体能力でどうにかしている風が目立ちます。実際の貢献度といったら献身的なランか、たまにあるゴールか位ですね。運動量が多く使い勝手のいい選手。

クラブからはそうとしか見えなかったということです。

選手としてしっかり育てていこうという意識が見当たらなかった。今の富安を見てください。井原はその点しっかり考えていますよ。経営体制も良くなって、選手の見方すら変わったといっていいでしょう。

現在城後はどうか。悲しい事に消えることが多いのです。




今回の東京ヴェルディ戦。城後選手は消えていたようです・・・また。彼ももうベテランの領域に入っているのだけど、身体能力に頼ってきたのか、サッカーを俯瞰的に考える能力が育ってないのか、

・・・超器用貧乏となってしまっています。功労者のハズなのにクラブのせいで名選手になれなかった一例ですね。

 

本来育成を考えれば適正も見えたハズ。ボランチがダメ、ゴールを決めるというならセンターフォワードで使っていたでしょう。2011年、そして無戦術というべき前田政権での得点を考えれば打倒です。それを見たからこそ、2012年に優勝したサンフレッチェ広島、名門の浦和レッズが欲しいといってきたのです。

場当たり的な使われ方しかされなかった彼は一つのポジションで研ぎ澄まされていった感覚が無いのではないか。結局適応するべく付け焼刃。そしてシーズン中苦悩して結局積んで言った経験がないんじゃないか。ゴールゲッターのイメージが強いのに、その感覚は別のポジションやっている内にさび付いていく。

こんな書き込みもあったようで。まあ一つだけなんだけど、思い切りよくシュートも打てないエゴイスト性も無い。・・・そういえばサイドハーフやってる時、持ち上がってはしかけもしないでボール戻している城後の姿を思い出したな・・・、どうやっていいのか分かってないようだった。仕掛けてボールを捕らえれたらどうしようと、クロスをあげるべきかと、サポーターが仕掛けろという中フォローに来た仲間にボールを戻す姿・・・・。サイドハーフとしての経験というか結局不十分なんですよね。プロフェッショナルに至るまでに研ぎ澄まされていない。スペシャリストを育て損ねてしまったんでしょう。




キングなのにクラブがしっかりしていなかった頃を長く経験していることによる被害・・・監督変更による使われ方の違いのせいで負の遺産を一身に受けている・・・キング?・・・いや

アビスパのこれまでを考えれば「クラブの奴隷」になってしまったといっても過言じゃない。

悲しすぎる。彼はまだ31歳です。2015年のような弾ける彼の笑顔が見たい。おそらく彼を残したのは「サポーター」だったはずです。オブリの熱の入れ込みようがすごかった。だからこそここ5年でガンガン観客収容人数を減らしていった時も残ってくれたんです。そしてクラブの体制は改善しています。そんな中で彼が活躍できない状態にあるのは非常に悲しい

 

P.S.城後疲れちゃったのかなって思った時頭の中をよぎった曲。

曲の題名に悪意は無いが、この疲れた感じ。本当に再生して欲しい。ポテンシャルが錆びてないのは名古屋戦のゴールで分かっているハズ。・・・頼む。

サポーターが彼を残したのなら、彼がフィールドにいる時は支えていきたい。




 

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